2020年3月5日

ニッタ
新田元庸会長の合同葬

新田元庸会長の合同葬
最後の別れ惜しむ

2月20日に61歳で死去したニッタの新田元庸会長の葬儀告別式が24日、大阪市阿倍野区の大阪市立葬祭場やすらぎ天空館で、新田家と同社との合同葬として執り行われた。当日は代理店や主要な取引先をはじめ、生前にゆかりの深かった多くの友人・知人が参列し、故人との別れを惜しんだ。

弔辞を述べたヤマカミの山上茂久社長は「元庸さんと初めてお会いしたのは、20年ほど前のことでした。同じ昭和33年4月生まれで、お互いの会社では似通った立場にあり、同時期に同じような経験を積んできたことから意気投合した。まるで幼なじみのように、いつも笑顔で親身になって接して頂き、公私両面で大きな支えでした。当社の100周年記念式典ではメーカーを代表して万歳三唱の音頭をとって頂いたり、息子の結婚式、父の葬儀のときにもあいさつをして頂いた。ご恩返しができないうちにこのようなことになり残念でならない。近年のニッタさんの躍進は、グループの総帥として正しい舵取りを行った元庸さんの経営手腕と人柄によるところが大きく、まさに経営者の手本とすべき人だった。お世話になった元庸さんへの思いを胸に、これからも公私ともに全力を尽くしていきます。どうか、いつも天国で見守っていて下さい」と故人への別れの言葉を述べた。

ニッタの國枝信孝名誉顧問は「元庸さん、早過ぎる。一回りも年上の私が貴方へ弔辞を述べることになるとは、残念で悲しくてならない。社長のバトンをあなたへ渡すとき、私は『アドバイスは何もない。持ち前の卓越したスピード感とグローバル感をもって伸び伸びと力を発揮して下さい。ただ一つ、健康にだけは留意して下さい』とお願いしました。それ以来、あなたは節制に努められ、社業発展にまい進された。積極的かつ戦略的なM&Aの実現、創業以来最高の売上高と利益の達成など、その偉業は〝お見事〟というほかはない。たとえ、志半ばという思いがあったとしても、あなたの経営手腕を目の当たりにしてきた経営陣と社員がその志をしっかりと受け継いでいくだろう」と告別の辞を捧げた。

葬儀委員長を務めた石切山靖順社長は「新田元庸会長は昨年夏に体調を崩して一時入院されたものの、奥様をはじめご家族の献身的な介護により、昨年末にはずいぶん回復に向かった。今年の賀詞交歓会では各社の皆様と元気に歓談しておられたし、年始のあいさつ回りには私も一緒に出張していたので、順調に回復されていると安心していた。ところが、体調が優れずいったん入院され、2月20日の午前1時に急逝されたと連絡が入った。ほどなく回復されるだろうと思っていたので〝まさか〟と今でも信じられない思いで、ご遺族の悲しみを思うと言葉もない。会長は2014年6月に社長に就任以来、フラットで親しみやすい人間関係とオープンでフェアな社風を目指され、社内では役職を付けず〝さん〟の敬称を奨励された。多くの社員が『新田さん』『元庸さん』と呼び、私も親しみを込めて元庸さんと呼ばせて頂いた。2030年に向けてさらなる飛躍を期す当社にとって、かけがえのない大切な人を失ったことは痛恨の極みだが、ニッタグループ社員一同は会長のご遺志を受け継ぎ、社業の発展に一層努力していきます」と参列者へのあいさつの中で固く誓った。