ブリヂストン
渡邉元社長死去
米州事業の再建等を実行
ブリヂストン元代表取締役社長の渡邉惠夫(わたなべ・しげお)氏が、5月16日に心不全のため82歳で死去した。
通夜・葬儀は近親者にて執り行われた。
後日「お別れの会」が行われる予定だが、詳細は改めて発表される。
渡邉氏は1942年4月10日生まれ、東京都出身。65年3月慶應義塾大学工学部管理工学科卒業後、同年4月ブリヂストン入社、80年4月タイヤ構造設計第1部設計第3課長、83年1月ブリヂストンタイヤ・マニュファクチャリングUSA(現BRIDGESTONE/FIRESTONE NORTH AMERICAN TIRE)派遣、88年1月TB開発第2部長、88年3月経営企画本部主査、88年8月海外工場技術部主査、90年10月BRIDGESTONE/FIRESTONE EUROPE S.A.派遣、92年10月タイヤ開発管掌専務付、93年3月品質保証本部長、94年1月タイヤ開発第2本部長、94年3月取締役、タイヤ開発第2本部長、96年11月取締役、タイヤ開発第1本部長、97年3月常務取締役、タイヤ開発第1本部長、97年4月常務取締役、生産財タイヤ開発・タイヤ技術管理担当、98年4月専務取締役、タイヤ開発担当、00年1月専務取締役、タイヤ開発担当兼タイヤ品質保証担当、00年10月専務取締役、タイヤ開発担当兼タイヤ品質保証担当兼タイヤ生産担当、01年1月代表取締役専務取締役、タイヤ開発担当兼タイヤ品質保証担当兼タイヤ生産担当、01年3月に代表取締役、取締役社長就任、02年3月代表取締役社長、04年1月代表取締役社長兼リスク管理管掌(CRO)、06年3月取締役相談役、07年3月相談役、17年5月相談役解嘱。
社長在任期間中の主な業績としては、01年の社長就任時に「米州事業の再建」を抱負の一つとして掲げ、生産体制の再編などによって翌年に米州事業全体の黒字化を達成した。加えて、すべての企業活動領域において「仕事のプロセスの改善」を継続的に実践し、あらゆる品質を向上させ、社内および顧客、市場の信頼回復を図ることを狙いとした「AQS21活動」を実施した。さらに、「安全はすべてに優先する」という安全宣言を取締役会で決議し、量よりも品質や安全が優先するという考え方をより明確にした。