大阪ゴム商業会
創立70周年の節目祝う
式典と祝賀会開催
先人の努力のお陰と感謝
大阪ゴム商業会(森孝裕会長)は6月17日、大阪市北区のリーガロイヤルホテルにおいて「創立70周年記念式典」を開催した。同商業会は昭和27年(1952年)に設立。戦後の混乱期を経て、わが国の経済全体がまだまだ不況ムードに包まれている状況にあって、ゴム産業界が業界の勃興に希望を託して懸命に足掛かりを探っていた時代に創設された。日本がIRSG(国際ゴム研究会)に加盟して国際的な活動を開始し、国内でも東京ゴム取引所が設立されるなど、日本の新たなゴム産業のれい明期でもあった。70年という長い歴史にあって、国内外を巡る経済情勢は、バブル経済の崩壊やリーマンショックなどといった経営上の大きな困難にさらされ、地震や異常気象といった天災を乗り越えながら、常に歩みを絶やさなかった結果であり、今年はまさにその誇るべき節目と言える。式典では、この日を迎えることができた祝賀ムードに包まれ、関連団体や官庁からは多数の祝いの言葉が寄せられた。
式典には大阪府、大阪市の首長(代理)をはじめ大阪ゴム工業会、西部工業用ゴム製品卸商業組合、大阪卸商連合会、京滋ゴム商業会といったゴム業界団体組織の代表者などが来賓として出席。参会者を前にあいさつに立った森会長は「ゴム商業会は創設から70周年という節目を迎え、今回その祝典を執り行うことになった。70年の歴史の歩みに対しての祝いではあるが、最初の組織団体の創設までさかのぼると、100年以上という長い歴史を積み重ねた団体でもある。70年という年月は、人間の年齢で言えば古希にあたる。それだけの年月を重ねて今日という日を迎えられたのも、先人の努力の積み重ねのお陰であると深く感謝している。これまでの歴史を振り返ると、大正7年(1918年、104年前)に設立された大阪ゴム同業会が発端であり、昭和17年(42年、80年前)に前身となる大阪ゴム商業組合と改められ、戦後に大阪ゴム商業会として新たなスタートを切った。当初は、戦時による混乱からの復興を遂げ、本格的な事業活動を取り戻したゴム産業界の各社における親ぼくを目的としていた。しかしながら、戦争による統制経済によって、ゴム商業者の存在感が薄れている状況から、経済産業省などとの折衝役などを行うなど、ゴム業界の団体組織として活発な活動を行っていた。大阪ゴム商業会となり、戦後の混乱から脱した時点で、昭和60年にその役割として、レクリエーションを通じた商業者同士の親ぼくの会にしようという提言が実行された。研修や人材育成といった業界発展に向けた事業については、西部工業用ゴム製品卸商業組合が受け持つことになり、商業会は親睦と永年勤続優良従業員表彰など、業界の一員としての意識向上に向けた活動に力を注いできた」と述べ、70年の歴史を言葉でつづった。続けて、現在に立ち戻り「歴史から学ぶことも多いが、今は今後の展望を模索しているところであり、時代に沿った体制によって、今まで以上に業界のために尽くしていきたいと考えている。この2年間はコロナ禍によって、あらゆる行事が中止を余儀なくされ、思い通りの活動はできなかった。しかしながらその一方で、リモートによる開催の手法などコロナ禍によって得られたノウハウもあり、ここにきて大阪ゴム商業会の取り組みにおいても、違った角度から見ることによって、今まで気づくことができなかった無駄や無理な一面が見いだせるのではないかと考えている。とは言え長きにわたり、時代の流れの変動を乗り越えてくることができたのは歴代会長、先輩方々、会員の皆さんや官庁などといった関係者のご尽力のたまものであると感謝しており、敬意を示すとともに、残して頂いたさまざまなことわりを貴重な財産として有効に活用しながら、これからの新たな時代の波に乗せていきたい。会員第一という当協会の本質は決して変わることなく、引き続き皆さんのお力をお借りしながら、これからの新たな歴史を歩んでいきたい」と述べ、商業会を代表して今後に向けての展望を示した。
来賓の紹介が行われ、大阪府の𠮷村洋文知事(代理)、大阪市の松井一郎市長(同)、大阪卸商連合会の𠮷木学会長、大阪ゴム工業会の本母利彦事務局長、西部工業用ゴム製品卸商業組合の小島孝彦理事長、岡浩史理事相談役、京滋ゴム商業会の中井茂会長が祝意を示した。
来賓による祝辞が述べられ、大阪府の吉村知事の祝いの言葉が代読によって「大阪ゴム商業会が創立70周年を迎えられたことを心からうれしく思う。大きな時代の変化の中で、歴史と伝統によって培われた存在感は素晴らしく、その活動は大阪のゴム産業界の発展に大きく貢献されてきた。大阪経済発展の推進力としての役割をも担っており、引き続きのご活躍を期待している」と伝えられた。大阪市の松井知事も代読により「創立70周年おめでとう。大阪ゴム商業会は昭和27年に発足して以来、時代の激しい変化の中で一致団結して活躍してこられた。業界の発展だけでなく、大阪の経済発展にも大きな力添えとなっており、大阪産業界のけん引役も担っている。大阪ゴム商業会の一層の発展を祈念するとともに、今後も熱意と努力により一層の活躍を期待している」と祝意を伝えた。
祝電披露の後、創立以来の長きにわたって業界に貢献してきた団体や貢献者への表彰式を挙行。大阪府知事ならびに大阪市長賞の団体表彰として大阪ゴム商業会、大阪府知事賞の功労者表彰を森会長(モリテック社長)、糸井宏之副会長(千歳商事社長)、加藤廣副会長(西部ゴム社長)、清水俊文理事(清水商会社長)、犬伏博明理事(コーキマテリアル社長)、大阪市長賞の功労役員表彰として大西健路相談役(宇都宮製作会長)、大橋幸一郎相談役(ムツボシ社長)、森会長、加藤副会長、犬伏理事が、それぞれ賞を受けた。受賞者を代表して大西相談役は「創立70周年の記念式典において、大阪府や大阪市、関係諸団体から数々のお祝いの言葉を頂いた。この70年という歴史の歩みを認めてもらえただけでなく、表彰までして頂けたことを非常に光栄に思う。大阪ゴム商業会の起点となる団体は、戦後の焼け野原となった日本の地に復員してきたゴム商業者が、同士の存在確認や、新たな起業家との交流を図る目的で、フロンティアスピリットを原動力として創設されたと聞いている。それ以降、近代は西部工業用ゴム製品卸商業組合と大阪ゴム商業会とは、両輪となってゴムの商業社団体として活動してきた。ゴム産業に不可欠な製品を市場に供給している商業者においては重要な役割を担っており、コロナ禍においても大きな支えとなってきた。現在は厳しい市場環境にあるが、70年前は今以上に大変であったであろうことが想像でき、それを心にとどめながら、さらに、業界の発展に力を注ごうと心に誓っている。大阪経済にも貢献しているという、気持ちを奮い立たせるような言葉も頂いた。今後は世代交代も進み、新しい経済環境にあって新たな活力を市場経済に送り出していけるものと楽しみにしている。受賞理由として、業界発展への尽力が挙げられているが、これまで情熱を傾け、努力を惜しまずに取り組んできた自らの活動に対しては誇りを持っている。これからも引き続き頑張っていきたい」と述べ、感謝の気持ちを伝えた。
閉会の辞は糸井副会長が「数多くの方々に式典に参加して頂けたことに感謝している。70年という歴史は、先輩の方々から連綿として受け継がれ、周囲と手を携えてきた結果の積み重ねであり、さまざまな出来事を経て今日という日を迎えることができた。激動の時代にあって、先行きの見通しを立てるのが難しい状況ではあるが、先人の知恵と経験を受け継ぎながら、次の世代へとバトンを渡すことで、新しい時代を切り開いていければと願っている」と述べ、式典の幕を降ろした。
祝宴では貴重な映像も放映
会場を移して催された祝宴で乾杯のあいさつに立った西部工業用ゴム製品卸商業組合の岡理事相談役は「大阪ゴム商業会は、私の父が30年ほど前に会長を務めさせてもらっており、今回の70周年という節目を喜んでいると思う。少し前まで私は、西部工業用ゴム製品卸商業組合の理事長を務めさせてもらっており、親ぼくイベントは大阪ゴム商業会との共催となっていることから、ともにコロナ禍によって実施することができず、非常に残念であった。両団体は、加盟企業もほぼ同じであり、まさに一心同体の感がある。そのため、幾度となく商業会と組合の合併案が持ち上がってきたが、実現には至っていなかった。現在、合併に向けての準備に取り掛かっており、双方の利点を際立たせることで大きな相乗効果が生まれるのではないかと期待している」と述べ、乾杯のグラスを高く掲げた。
宴会場のステージではアトラクションが催されたほか、場内に設置されたスクリーンには大阪ゴム商業会の歴史をつづった貴重な映像が流され、当時の風物詩とともに映し出される団体としての活動の様子や、写真を目にして参会者は感無量。「こんな貴重な映像が見られるとは思わなかった」「こんなきれいな状態で残っているとは信じられない」といった感激の言葉が各席から聞かれた。
アトラクションはテノール、ソプラノ、メゾソプラノ、バリトン歌手が一堂に会したライブによるオペラコンサートで、大阪ゴム商業会70周年を祝う舞台を演出。「ゴムが持つ素材としての素晴らしさを表現したかった」(出演者)ということで、あまたのオペラの名曲の歌詞の一部をゴムにちなんだ歌詞に置き換えながら、素晴らしい歌声とパフォーマンスを披露した。「ゴムが大好きで、ゴムのように柔軟に高音をコントロールする練習をした」(同)上での披露。オペラ座の怪人やカルメンの闘牛士といった名曲を見事に歌い上げ、プログラムの最後を飾るフィナーレでは楽曲として〝闘牛士・大阪ゴム商業会バージョン〟を熱唱し「フッ素ゴムまで入手困難になり、原材料高騰でシリコーンゴムまで値上がりするとは」といった歌詞を歌い上げた後、「私たちはゴムに一番くわしい歌手だと自負している」と、ジョーク混じりに終演した。
中締めを行った小島理事長は「本日は式典も滞りなく進み、非常に喜ばしく思っている。かなり昔の記念誌をめくってみたが、昔はドラマチックな環境に置かれており、ワイルドな出来事の渦中にわれわれの先祖が登場(苗字で判断)している。現代はマイルドな時代に移り変わっているが、大阪のゴム産業は、そのれい明期におけるわれわれの先祖の活躍の結果として存在しているのだと思えば、非常に感慨深いものがある。西部工業用ゴム製品卸商業組合は、大阪ゴム商業会との合併を考える時期を迎えているが、70年という年齢は、論語で言えば〝七十にして心の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず〟となっており、意味としては〝70歳にもなれば、好きなようにしても道を踏み外さない〟という状態を指している。多少は思い切った決断をしたとしても、道を踏み外すことはないと思うので、今後も迷うことなく前に進んでほしい」と述べ、ウィズコロナの時代の手締めとして、上り締め(指で本数を増やしながら打ち鳴らし、指の一本締めを五回行う)によって祝宴の幕を降ろした。