2022年6月25日

岡安ゴム
岡社長が講師として登壇

卒業生に挑戦の重要性を伝える

岡安ゴム(岡浩史社長)は6月15日、大阪ゴム技術研修所の卒業式に招かれ、岡社長が特別記念講演の講師として登壇した。メーカーの技術者を育成する研修機関であり、特別記念講演の講師にはメーカーや学識経験者などがあたる傾向にあるが、今回は商業社に依頼。岡社長自身が40年前に研修所に入学した大先輩であり、現役の社長を務めていることで、経験も豊富、仕事への向き合い方を伝える意味もあって白羽の矢が立った。岡社長は「第60回の記念すべき卒業式の特別記念講演会ということで講師の話を頂いた。商業社としての立ち位置ながら、最近では商業社でも素晴らしいモノづくりを行っているという理由で、卒業生の今後のためになると言われて引き受けた」と経緯について述べた。

テーマは〝挑戦の連続~我がゴム人生~〟で、岡社長自身のこれまでの人生を振り返る内容で話が進められた。「当社は商社だったが、メーカーとしての切り口も持っており、これまでいろいろなチャレンジを重ねてきた。皆さんも研修で多くの知識を学んできたと思うが、今後の道を歩んでいく上で、これまでの私の経験が少しでも参考になればと思う。挑戦という言葉を講演のテーマに選んだが、この姿勢は仕事を進める上での本質であると考えており、64歳という年齢を迎えてもまだまだチャレンジを重ねている」と前置きした。同社は創業から86年を経ており、岡社長は同社における3代目。現在はスポンジの押出成形品の生産を中心に、メーカーの立ち位置を目指して事業を行っている。しかしながら当初は、商社が2カ所の町工場を稼働させている業務形態で操業しており、工場の赤字を商社の利益で賄っている状態が続いていた。工場の財務状況は、大変な赤字続きで、経理の担当者からは「一刻も早く工場をたたむべき」とまで言われていた。工場を廃棄すれば、モノづくりへの道が絶たれてしまうという危機感を覚えたことで、メーカーへの挑戦に向けて変革を開始した。当時の業績は、工場による自社生産が2割程度で、全体の8割が商社による売り上げで成り立っていた。工場の生産設備はプレス12台、押出1ラインで、押出成形の製品は、エアコン配管向け断熱材のみの生産だった。プレス成形による生産では、労働環境に課題があり、特に若者には続かないと判断。生産改革に乗り出し、まずは押出成形の高度化を目指した。配合や口金加工方法などを学び、新たにパイプなどの生産品目を加え、受注先の技術指導を受けながら、簡単な下請けを積み重ねることで技術を蓄積。異形の押出品として、自動車部品であるウェザーストリップを商品ラインアップに加えるまでになった。押出成形を6ラインにまで増設することで自社商品の比率が拡大、この経験によって技術開発の基礎を身に付けた。

省人化、自動化の方向性も強く認識しており、そのためにはインジェクション(射出成形、以下、INJ)設備の導入が必要と判断。1987年に外注先の廃業によって2台のINJの中古リースを引き継いだことで導入を果たした。しかしながら、INJによる生産ノウハウの持ち合わせがなく、工場に泊まり込みながら機械のメカニズムを解析。周囲からは〝INJは社長の息子のおもちゃ〟とやゆされながらも、生産の高度化に向けて、不可欠な選択であると信じ、あきらめることなくINJ製品の商業化へとまい進した。勉強を重ね、やがて専用工場を建設して新たに8台のINJを導入。「決して安価な投資ではなかったが、生産改革の必要性を信じて突き進んだ」(同)。そうした展開の結果、バブル経済下での繁忙期における大きな受注に対しても、人手不足の時代にありながら、夜間無人稼働、自動成形による省人化も実現し、休日の稼働も可能にしたことで、商機を逃すことなく売り上げを伸ばした。INJは横型14台、竪型10台を導入しており、自動取り出しも生産工程に取り入れることによって、省人化を一段と推進。こうした取り組みの積み重ねにより、現在でも販売は押出製品が中心を占めているが、スポンジの押出分野に関してはバリエーションの豊富さと生産キャパシティの高さが強みとなっており、競争力では大手メーカーにも引けを取らない。

94年には海外への進出を実現。顧客が海外で現地生産することになり、取引先からの要請もあってマレーシアに現地法人を設立し、貸工場で生産を開始した。「理系であったことから英語は苦手分野であり、海外での事業展開に懸念はあったものの、海外進出のチャンスととらえて単独で海外に赴いた。英語はあえて現地の日常生活において勉強し、普通会話ができるようになってから1年後には周囲から感心されるほど上達した」(同)。現地での資金繰りの勉強にも追われ、常に苦労は絶えなかったものの、事業は順調そのもので自社工場を持てるまでになった。そのため、当初は5年の赴任予定で日本を発ったが、結果的には8年間を現地で過ごした。

04年に帰国し、社長に就任。会社体制の再構築に着手し、4500坪という広大な土地を購入、各地に点在していた拠点を統合した。「思い切った巨額投資であり、一つ間違えば会社の存亡にかかわる決断であった。背水の陣を敷くことで、正しいと思う変革をやり切った。ポジティブシンキングも研ぎ澄まされ、リーマンショック時の大打撃も、大変な苦労と苦痛を伴ったが何とか切り抜けることができた」(同)。

岡社長は終盤、式典会場で静かに耳を傾ける若い人材に向け、特に伝えたい事柄として6つの項目を列挙。まずは〝知識の蓄積〟と〝英語の勉強〟を挙げ、新しい仕事に挑戦するためにはひたむきに努力し、勉強を通じて〝知識を蓄積〟する重要性を訴えた。「わからない事柄については人に聞くことで知識を増やす。異形押出の時に痛感したが、基本的な知識であっても恥と考えずに知ることを第一に考える。英語など語学は若い時のほうが身に付きやすい。学んでおけば、必ずや役に立つ時がくる」(同)。〝総合的な技術〟も大切で、配合などといったゴム関連技術だけでなくIT技術などもマスターしてほしい。そして〝諦めない心〟を持って〝変化に対応〟〝決断と行動〟を常に実践する姿勢を持ち続ける。改革に対しては強じんな意思をもって向き合い、変化にはフレキシブルに対応し、可能であると思えば思い切って決断し、信じて行動する。「決断しても行動が伴わないと何も生まれない。仕事だけでなく、幸せな人生を送るためにも大切な教訓であると信じている。これはぜひとも皆さんに伝えたかった」と述べ、講演を締めくくった。